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だれの声をきく?だれと対話する?

はじめに…

今回はいつも以上に個人的な感覚で書いているので

、もし共感していただける方はいたら、

私はとても嬉しいです。

 

 

言葉で表現しようとすると、

 

その感じたものが

異なる音になるような

雑音が入り混じるような

 

そんな感じがするから

感覚のみで十分に体験しておく。

 

それでも書き留めておこうとすると、

自分がわかる表現でメモする作業になる。

 

 

ここ最近

この感覚が加速している。

 

そこに共通することを挙げてみると、

『力みがない』

 

力みはそこにはなくて、

逆にその『力み』を手放した感じが心地良い。

 

例えば

ある程度自分のなかでモノゴトに流れを想定していたとする。

 

でも、それが想定外の状況になると、

その『力み』がふわっと緩んで、

楽になる。その緩んだスペースに風が吹く。

 

可笑しなです。

自分で想定していたことが想定外になることで

焦りや力みが消えて、

楽に、緩む感覚になるのだから。

 

そして、その想定外の状況下で、

自分に問う。

 

「どうしたいの?」って。

 

その問いに即答できることもあれば、

思考を働かせて、あれこれ色々なパターンを挙げるときもある。

 

思考フル稼働させた場合には、

その流れが落ち着いた頃を見計らって、

 

改めてこの問いがまたくる。

「で、どうしたいの?」って

再度、自分に問う。

 

 

問いに答えると同時に、

私は既に、その行動をしている。

 

だから

私自身がその行動をみて

「それが望みなのね!」

って納得も早い。

 

 

 

「問い」:「どうしたいの?」

「選択」

「行動」

「気づき」

「確信」

 

この流れに

誰かの意見は左右されない。

 

『情報』としては

その過程に関わるけれど、

 

あくまでも情報に過ぎない。

 

でも場合によってはその『情報』が、

強く影響を与えることがある。

 

それは、

自分にとって大切な人、関わりの深い人など

その人を通じて得た『情報』の時は、

 

その『情報』と『自分自身』を

同一視しないよう視点が必要になる。

 

それが私の現状の課題のひとつでもあって、

その課題と向き合う日々は継続中。

 

それがここ最近、

少し前進してきたようです。

 

それはこのような理由から感じる。

 

先に書いたこの流れ、

 

「問い」:「どうしたいの?」

「選択」

「行動」

「気づき」

「確信」

 

この「確信」のあとに、

「早急で明確なフィードバック」が加わったこと。

 

シンプルに言えば、

「問い」「選択」「行動」「気づき」「確信」の流れを経て、

物理的に「場」に現実に起こる、こんな表現になるかな。

 

それが人との関わり、状況や環境で見せられる。

「場」にモノゴトが起こる。

 

だからそれが「必然」な出来事だ、

って即、

 

腑に落ちる。

 

腑に落ちる感覚は、

「ココロが納得する」ともいえるし、

「ココロを観る側にいる」ともいえる。

 

それによってまた

「気づき」があがる。

 

この繰り返し。

 

そのおかげで、

「だからか!」

「このためだったのか!」など、

 

選択から行動にした自分に対して、

「よくそれを選択、行動してくれたね、ありがとう!」

って声をかけてあげられる。

 

ココロを納得させることのスピードも速まり、

ココロの暴走の時間も以前より短縮できている。

 

 

その過程の「選択」のところで、

その選択を惑わせる出来事もちゃんと

タイミングよく起こるから面白い。

 

それがまたどんな惑わせ方、かというと

 

『欲』と『執着/嫉妬』

 

それを含めた出来事をみせられて

ココロを揺らがせる。

 

その狙いは

「ココロの暴走」

 

ココロがその情報に揺れながら、

再度自分に「問い」がくる。

 

「で、どうしたいの?」って

 

『欲」『執着/嫉妬』が望みなの?

みたいな感じに問いが来る。

 

 

それが本当に望むことなのかどうかを見極めて

選択したことで、その次の行動は変わる。

 

 

どれだけの選択、行動を繰り返して

今この瞬間、この場を創っているのかとも思う。

 

今回はこのあたりで終わりに。

もしこのブログを最後まで読んでくださった方がいたら、

 

ありがとうございます。

ここまでお付き合いいただけたことが嬉しいです。