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人任せほど退屈なことはない

何食べたい?

ー何でもいい

 

どこ行きたい?

ーどこでもいい

 

どれにする?

ーどれでもいい

 

何したい?

ー特にない

 

チーン!!

要は「どうでもいい」ってことですよね。

 

これほど退屈でつまらないやりとりはない。

 

このような会話をする場からは

私は即、退散するね(笑)

 

 

これは

他者とのコミュニケーションを

放棄しているだけでなく、

 

自分とのコミュニケーションも

放棄していること、

 

そう思う。

 

 

自分に出来ないことは

他者にも出来ない、

 

と思うから。

 

 

自分自身に向き合う姿勢を

他者に観る、写し出す

 

『他者を通じて自分を観る』

 

と思うから。

 

自分とのコミュニケーションは

後回しにはしない。

 

自分の声を聞ければ

他者の声を聞く準備が整う。

 

 

その習慣、練習の積み重ねが

 

望まないこと、

想定外のことが起きた時、

 

にいかされる。

 

 

・自分がどう感じるのか。

・どんな行動にでるのか。

・その現実とどのように向き合うのか。

 

 

様々な出来事の度に

感動したり、嘆いたり、困惑したり、

喜んだり、怒りを感じたりする。

 

そんな過去の体験もありつつ、

また別の選択肢として、

 

一喜一憂するのではなく、

善し悪しを決めるのではなく、

 

 

嬉しいことも

悲しいこと

幸せなこと

不安を怒りを抱くことも、

 

自分が『感じた」こととして、

 

嬉しいから良いこと、

悲しいから良くないこと

の二極に分けず、

 

どちらもひとつの反応として、

 

「そう感じたんだね、私」と、

軽いお喋り感覚で、

 

『感じた』反応を観てあげる、聞いてあげる。

 

反応を素直に受け入れ、

自分自身に『興味を示してあげる』

 

「観る」という行動が

ひと呼吸する:深呼吸するみたいに

 

精神的にも

身体的にも

「スペース=ゆとり」をくれる。

 

 

そして、そのゆとりは、

感情を制御することだってできる。

 

 

『ゆとりのある暮らし』は、

健やかな心身を維持することにつながる。

 

 

 

感情任せ

他人任せではなく、

 

自分の一歩で進むことを

選択肢の一つに!

 

その一歩一歩が、

 

自分にとって

ゆとりのある暮らしを実現することに

繋がると思うから。

 

 

「ゆとりのある暮らし」と聞いて、

どんな暮らしをイメージされますか?

 

 

是非、お聞かせくださいませ。