· 

孤独を悪と感じるあなたへ

 

何をしていても

どこいいても

誰といても

 

孤独を感じるあなたへ

 

それを悪と感じるあなたへ

 

 

 

 

私は孤独はウエルカムだと思います。

 

孤独=友達がいない、独りぼっち、寂しい…

孤独をこのように連想すること自体、不思議に感じます。

 

 

私にとって孤独は

必要に応じて日常に取り入れる、

自分メンテナンスツールのひとつです。

 

 

物理的に周囲(人や情報・物事)からある一定の距離をとって

自分の時間・空間を設けること

 

それによって

心身を癒し、調え、思考の整理整頓をする。

 

 

心身のバランスが崩れているとき、

中途半端に人や情報・物事と関わり続けることで

誤解や不必要な心配事を増やすことになる場合があります。

 

 

それはなぜか。

 

自分が何を望み、何を望まないのか

わからなくなってしまっているから。

 

この状態で、

相手の顔色を伺いながら意見を合わせたり、

状況にふさわしい発言・態度をとったり、

まわりに合わせることに必死になって、

 

つまり、

本来のあなた以外の誰かを演じるわけですから、

自分のみならず周囲との良好な関係を築けるわけがありません。

 

双方に不快であることは極力避けたいです。

 

 

自分の機嫌もとれないのに

周囲の機嫌をとれるほど器用じゃない

 

 

 

もちろん社会生活で自己主張を抑え、

周囲に合わせる振舞い必要なときも多々あります。

 

私がお伝えしたいのは、「バランス」です。

 

自分にとって適切な「バランス」を習慣化したいのです。

 

 

あなたが周囲に合わせ続ければ、

当然、あなたは自分が何を望み何を望まないのかさえも、

曖昧になります。

 

曖昧になるだけでなく、

それがいつしかあなたの快適ゾーンになってしまうのです。

 

「自分を抑えることことで周囲と争うことなく上手くやれる

人間関係もその方が楽だから」

 

 

関係は「楽だから」で築くものではなく

双方に有意義かどうか、私はこう思います

 

 

個を抑え周囲に依存することで全てが上手くいく、

という勘違いに自らハマっていくのです。

 

 

あなたが自分の主張を周囲に伝えなければ、

相手(周囲)はあなたのことを

 

「この人はどっちでもいいのね」もしくは、

あなたの存在をスルーすることさえもあります。

 

当のあなたは

「言葉にしなくてもわかってくれる、気づいてくれるだろう」

 

こう相手(周囲)に期待して、その期待に反する相手がいれば

強く批判したり、無視されたなどの負の感情を抱く。

 

自らが「快適ゾーン」を選択したにもかかわらず。

 

黙っていても周囲に理解してもらいたいという期待、

その期待に反した相手を責めることは健全ではありません。

 

それは都合のいい思い込みに過ぎない

私はそう思います。

 

 

ここまで強く言いきるのは、

過去に私自身がこの体験をしたからです。

 

自分のエゴでまわりに期待して、

その期待外れにひどく落ち込んだり嘆いた経験があるからです。

 

 

 

私たちは単独では生きられない。

 

個の良さ・コミュニティの良さを見直し、

自分自身の調和は外との調和につながることを再認識します。

 

個・外との調和に『信頼』が必要不可欠です

 

そのために 自分自身との信頼関係を築くための行為を、

日常生活の場で繰り返し実践(試行錯誤)することは避けられない。

 

個とコミュニティの両立が、

個の調和と外との調和に繋がるのです。

 

 

 

孤独は、

自身の心身の調整のみならず、

 

周囲(人・環境すべて)への新たな視点とあわせて、

 

現在の環境・関係性を含むすべてのネットワークを

再認識することにつながる。

 

 

ここに意識を向けることは、

本来の自分を思い出すこと。

 

何を望み何を望まないのか、

「自分にとって」の選択がスムーズに循環し、

 

結果、

自分とも周囲とも健やかで快適な関係性を築くことができる。

 

 

そのためにも孤独は、

成長過程に必要不可欠なメンテナンスツールだと、

 

 

私は思います。

 

 

 

 

 

ヨーガセラピー(ヨーガ療法)と氣幸ヒーリングを活用して、

自分とも周囲とも快適な関係を築くためのツールを実践方法を

習慣化していくことを目指します!