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繰り返すことどう観る②

こんにちは。

 

前回の続きです。

 

「繰り返し起こることをどう観るか」

 

HappyなこともunHappyなことも、

繰り返し起きているように感じる。

 

こんな経験ありませんか。

 

私の経験をお話すると、

これまで特にこの10年間にこれが集中して起きています。

 

今回は敢えて、

unHappyな場合をシェアしますね。

 

どんな時に起こるかといいうと、

『私が本当に望むことでないことを選択、行動したとき』です。

 

より具体的な例を挙げますね。

例えばこんなとき。

 

★自分の中で❓(➡これは何かか違うぞ、と自分の内に沸く疑問)

の思いがあるのにも関わらず、その選択/行動をしたとき。

 

★❓の思いがあるにも関わらず、それをやり続けてるとき。

 

★❓が大きくなってることもわかってる、でもそれをやらない、

やめる選択を出来ない/手放せないとき。

 

★本当はそんなこと望んでいないのに、不安/孤独感/寂しさ/やりきれなさ/承認欲求/自己肯定感の引き上げ…を自分の外側に求めるとき。

 

こんな感じでしょうか。

 

「何かが違う」

この何か違うという感覚をキャッチしてるにも関わらず、

その選択、行動をする、継続する。

 

これは自分を見て見ぬふりをする、騙す、嘘をつく、無視をする、

傷つける…「確信犯」です。

 

自分を騙すことはできません。

出来ないのにする「確信犯」です。

 

それは自分は怒りますよね(ー_ー)!!

「なにー!!無視するのか!!このサインを見て見ぬふりをするのかー!!」って。

 

自分を騙すことはできないのに。

 

そして自分はこう思うのです。

 

「ハハーン( `ー´)ノ!!よーくわかった!

そちらがその気なら、もっとわかりやすく教えてあげましょう」

 

そして私は「怪我、事故」ということを通じて、

気づかされるのです。

 

こうまでしないと私が本当の気づきを得ないから。

 

良く言えば「愛のムチ」ですかね。

 

これは時間経過でこのように笑い話に言えますが、

それが起こった時はもう冷静ではいられない。

不安、恐怖の情動、痛み、自己肯定感急降下にその瞬間、包まれる。

 

そしてこう思う。

「なんでこうなるの!なんでこんなこと起こるの!!」

 

って。

完全に低い視点でしか観れない私になる。

 

「だって私が見て見ぬふりするから。私を騙すから」

って、視点の高いところから捨て台詞。

 

そして更に自分はこう言う。

 

「私が気づくまで繰り返しおこすよ。それに気づくまでね」

 

 

そしてこの10年間で起きた「怪我、事故」を

自分は言葉の通り、私が気づくまで繰り返しおこしてくれた。

 

そこに「痛み」も加えてね。

 

いやいや、参りました(笑)って。

 

 

これは何を伝えてるの?

観るべきところは目の前で起こったアクシデント?

それに伴う情動に振り回される私?

誰か/何か、外にその原因を求める思考/行動?

 

「繰り返すことをどう観る」

 

この続きはまた次回。