こんにちは。
前回の続きです。
「繰り返し起こることをどう観るか」
HappyなこともunHappyなことも、
繰り返し起きているように感じる。
こんな経験ありませんか。
私の経験をお話すると、
これまで特にこの10年間にこれが集中して起きています。
今回は敢えて、
unHappyな場合をシェアしますね。
どんな時に起こるかといいうと、
『私が本当に望むことでないことを選択、行動したとき』です。
より具体的な例を挙げますね。
例えばこんなとき。
★自分の中で❓(➡これは何かか違うぞ、と自分の内に沸く疑問)
の思いがあるのにも関わらず、その選択/行動をしたとき。
★❓の思いがあるにも関わらず、それをやり続けてるとき。
★❓が大きくなってることもわかってる、でもそれをやらない、
やめる選択を出来ない/手放せないとき。
★本当はそんなこと望んでいないのに、不安/孤独感/寂しさ/やりきれなさ/承認欲求/自己肯定感の引き上げ…を自分の外側に求めるとき。
こんな感じでしょうか。
「何かが違う」
この何か違うという感覚をキャッチしてるにも関わらず、
その選択、行動をする、継続する。
これは自分を見て見ぬふりをする、騙す、嘘をつく、無視をする、
傷つける…「確信犯」です。
自分を騙すことはできません。
出来ないのにする「確信犯」です。
それは自分は怒りますよね(ー_ー)!!
「なにー!!無視するのか!!このサインを見て見ぬふりをするのかー!!」って。
自分を騙すことはできないのに。
そして自分はこう思うのです。
「ハハーン( `ー´)ノ!!よーくわかった!
そちらがその気なら、もっとわかりやすく教えてあげましょう」
そして私は「怪我、事故」ということを通じて、
気づかされるのです。
こうまでしないと私が本当の気づきを得ないから。
良く言えば「愛のムチ」ですかね。
これは時間経過でこのように笑い話に言えますが、
それが起こった時はもう冷静ではいられない。
不安、恐怖の情動、痛み、自己肯定感急降下にその瞬間、包まれる。
そしてこう思う。
「なんでこうなるの!なんでこんなこと起こるの!!」
って。
完全に低い視点でしか観れない私になる。
「だって私が見て見ぬふりするから。私を騙すから」
って、視点の高いところから捨て台詞。
そして更に自分はこう言う。
「私が気づくまで繰り返しおこすよ。それに気づくまでね」
そしてこの10年間で起きた「怪我、事故」を
自分は言葉の通り、私が気づくまで繰り返しおこしてくれた。
そこに「痛み」も加えてね。
いやいや、参りました(笑)って。
これは何を伝えてるの?
観るべきところは目の前で起こったアクシデント?
それに伴う情動に振り回される私?
誰か/何か、外にその原因を求める思考/行動?
「繰り返すことをどう観る」
この続きはまた次回。
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